高碕記念館について

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「高碕記念館」は、1923年(大正12年1月)に医学博士 諏訪塋一氏の住宅としてウィリアム・M・ヴォーリズの設計により建築され、1929年(昭和4年)より当法人の設立者である高碕達之助の住居として使用されていました。当時、自然や生き物を愛した高碕達之助は、ワニやニシキヘビなどの爬虫類から小鳥にいたるまで、多くの生き物を飼育していました。また、ひときわ大きな椰子の木は当記念館のシンボルとなっております。

この建物はヴォーリズ建築の代表的なスタイルの一つである、木造2階建て腰折れ屋根のコロニアルスタイルの特色がよく表現されています。

昭和13年に現在の玄関部分を増築した他、これまでに数度の改築を行い、平成2年には老朽化が著しい為、ヴォーリズ建築の保存を主目的とした全面的な改修工事を実施し、現在に至っています。

かつてはこの雲雀丘花屋敷にもヴォーリズの設計した建物が数軒ありましたが、現在はこの記念館だけになっており、当法人が所有、維持管理しています。

「高碕記念館」は、戦後の一時期占領軍の接収を受ける等の歴史的な側面も持っていますが、宝塚市雲雀丘花屋敷一帯は、阪神間有数の歴史ある住宅地として古くから知名度があり、大正文化を象徴する様な洋館が階段状に建築され、現在も景観形成建築物として市の指定を受けた住宅が数多くあります。

設計者 ウィリアム・M・ヴォーリズ
建設時期 1923年(大正12年)
敷地面積 1702.84m2
延床面積 453.45m2
  • ひょうごの近代住宅100選選定
  • 景観重要建造物指定

ウィリアム・M・ヴォーリズ

(William Merrell Vories 1880〜1964)

米国生まれのウィリアム・M・ヴォーリズは、明治38年に英語教師として来日、その後、メンソレータム(現メンターム)で知られる近江ミッション(近江兄弟社)を設立。そして建築事務所を営むなど、日本に於いて様々な文化事業や社会事業に携わり、大東亜戦争中も自らの意志で日本に残留した上、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名し、生涯を日本で過ごした人物です。

ヴォーリズは、建築家として日本各地で西洋建築の設計を数多く手がけ、戦前だけでも1,500件を数えると言われており、日本の西洋建築に大きな影響を与えました。よく知られたものには、大阪の大同生命ビル、大丸心斎橋店、そして関西学院大学、神戸女学院大学、同志社大学アーモスト記念館などミッション系スクールやキリスト教会の建築が数多くあります。

現存する建物の多くが登録有形文化財等に指定される等、現在もヴォーリズ建築の根強いファンが多く存在します。

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